@kyanny's blog

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ニュースの天才

予備知識なしで観たけど、おかげでハラハラしながら観れた。でも後味悪い映画だった。

ニュースの天才 (字幕版)

ニュースの天才 (字幕版)

改めてあらすじを思い返すと考えさせられる話だった。

主人公が信頼していた元編集長は主人公をはじめとする部下を守ってしばしば上司と喧嘩し、あげくクビになる。主人公の同僚が新編集長に抜擢されるが周囲の信頼は得られない。そうこうしてるうちに主人公の記事のウソがライバル誌の記者に暴かれていき、立場が危うくなった主人公は新編集長に「なんで(元編集長のように)僕を守らないんだ!」と泣きつく。実際は新編集長も主人公を守るためにライバル誌にかけあったりしてたのだが伝わらず、主人公の捏造がどんどん明るみにでて、最終的には見捨てる。

新編集長は立場に相応しい仕事をした。主人公の捏造が目に余るほどひどかったことがわかり、もう記者としての彼を守りきれないし、編集長として雑誌も守らなければならないから、主人公のウソを徹底的に暴き、誌面で謝罪して償うことにした。新編集長は最終的には部下の信頼を勝ち得たが、それは部下に優しく接したり上司と喧嘩したりすることによってではなく、過ちを犯した部下を厳しく断罪することによって成されたわけだ。

一方、信頼されていた元編集長も、主人公の記事捏造の片鱗に触れる機会があった。怪しいと疑って自ら裏取りまでしたが、ある程度の事実は認められたから全てが捏造ではないだろうと納得したのか、それとも薄々感づいていながらも気づかないふりをしたのか、ともかくウソを暴くことはなかった。それどころか小さなウソを見逃し、許してやった。その結果、主人公はより大きな過ちを犯してしまったし、雑誌も大きな痛手を負った。元編集長は立場に相応しい仕事をしていなかった、とも言える。彼は主人公のウソを見逃すべきではなかった。表面的な優しさで評判を買うのではなく、嫌われてもいいから正しいことを為すべきだったのではないか。

憔悴しきった主人公が救いを求めて元編集長に会いに行ったとき、元編集長は「俺のころも捏造したのか」と問いかけた。このシーンの演技からはどういう意味が込められているのかよくわからなかったが、「信頼していた元上司は、自分がウソつきだと知ったら庇い慰めるどころか『俺に対してもウソをついてたのか?そうなんだろ?』と軽蔑してきた。信頼関係なんてただの幻想に過ぎなかったのだ」という絶望を表していたようにも思えた。薄っぺらな「いいボス」の化けの皮が剥がれた瞬間、とでもいおうか。そんな重々しいシーンではなかったのだけど。